言葉の綾
またボクの中で、『村上春樹』がキてます
先日、病院の待合で、『風の歌を聴け』を見っけたのがキッカケです。
寝る前本読みで、『風の歌を聴け』→『1973年のピンボール』の途中です。
何度も読んでぃる大好きな小説です
忘れてるストーリを思い出す楽しみもありますが、
今回ゎいつもと違ぅ読み方をしてるょうです。
言葉を探してぃるような
作者が強く言ぉうとしてる一文って、
ところどころ出てくるんだけど、
その文の捉ぇ方が、前読んだ時と違ぅ捉え方をしています。
例えば、こんな文。
〜〜〜〜
文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確
認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。
〜〜〜〜
この文の捉え方って、いろいろだろうし。
目線をちょぃ変ぇてみて。
言葉って不思議なモンで、
人によっても、捉え方が違ぅし、
ボク自身、時期によっても違ぅ。
言葉の楽しぃトコだけど、
曖昧なモノです。
ボクのボキャブラリーなんぞ、ほんのチョットのモンです。
多ぃ人と比べれば、
どんなけ言葉を尽くしても、伝わらなぃ。
でも、反面、どんなけ言葉を持っていても、
伝わらんモノゎ伝わらん。
感覚を言葉で表すのゎ難しいことだし。
『言葉は身の文』ってくらいだから、
スマートなモノにしたぃのですがねぇ〜
ところで、言葉の付く慣用句って多ぃですね。
言葉で庭を掃く。サッサッサ